暮らしの糧をつくる
泊まれる民藝館
豊かな水が巡る土地、富山県西部・砺波地方。柳宗悦はかつて人と自然がつくりあうこの土地の精神風土を「土徳」と呼び、民藝思想との深い共鳴を見出すとともに、ここ善徳寺で集大成となる論文を執筆しました。
杜人舎は「土徳」をヒントにこれからの暮らしをつくっていく、泊まれる民藝館です。柳の愛弟子・安川慶一が設計した研修道場を改修し、2階にはホテル、1階には宿泊の方以外もどなたでも利用できる講堂、カフェとショップ、善徳寺内の書院にはテレワークスペースを配置。建物全体に美術館のように民藝の品々をしつらえました。
宿泊はもちろん、土徳に触れる講座やアクティビティ、地域の人々との交流を通じて、滞在体験そのものが学びとなり、日々の糧となる場を目指します。民藝美に満ちた空間で、これからの美しい暮らしをともに考えていきましょう。
風景、生業、工芸、建築、食、信仰…さまざまな形であらわれる土徳に学びながら、これからの美しい暮らしをつくる活動共同体。価値観をともにする仲間と、日々の糧をつくりあい、土地の価値を再生しつづける、巡りの良いコミュニティ。
presented by
水と匠 Circular Commons
絹織物で栄えた
門前町を散策する
民藝に啓示をもたらした
城端別院善徳寺と土徳
「ある夏のこと、越中城端の別院で、『大無量寿経』を繙いていた時、はたとこの第四眼に目が吸いつけられ、恍惚として何か開眼の如き想いに浸ったことを今も覚えております。(柳宗悦「無有好醜の願)」
民藝の提唱者である柳宗悦は晩年、妙好人の研究をきっかけに訪れた富山で、善徳寺の離れに滞在。ある日、本堂で目にした経典に啓示を受け、民藝思想の集大成となる論文『美の法門』を書き上げます。同じ頃、福光に疎開していた棟方志功には、柳をして「我執の濁りが消えた」といわしめる作風の変化が起きていました。彼らをこの土地へ惹きつけ影響を与えたものは、「土徳」と呼ばれる、自然への深い感謝が生み出す土地の精神風土でした。
研修道場を
今あらためて
美しい暮らしの学び舎に
善徳寺の研修道場は柳の愛弟子である木工家・建築家の安川慶一によって設計されました。宿泊・研修以外にも様々な使い方ができるようつくられており、松本民藝館・松本民藝生活館のもとにもなった貴重な作品です。民藝とは単なるプロダクト論ではなく、暮らしから社会を問う総合的な哲学かつ社会運動でした。その意志を引き継ぎ、活用されていなかった研修道場を今あらためて、美しい暮らしをつくりあっていく集いの場として開きます。
暮らしに必要な糧を
つくりあう場として
土地の信仰の中心地であり続けてきた善徳寺。その信仰とは大仰なものではなく、日々の歓びに気づく心を育てるものでした。また柳が出入りしていた当時の善徳寺は、棟方志功をはじめ詩人の吉井勇や俳人の前田普羅(ふら)等が出入りするサロンでもありました。濱田庄司や河井寛次郎も地域の人々との交流を楽しみに、城端や福光によく通っていました。善徳寺は、コミュニティ、相互扶助、文化交流など、暮らしになくてはならないものが培われる場でした。杜人舎ではそうした場の力を現代に再生し、生きるために必要な糧を、訪れる人と地域の人と、ともにつくっていきたいと思います。
ZENTOKUJI 城端別院善徳寺
本願寺8世·蓮如上人を開基として開かれた、北陸の浄土真宗信仰の中心寺院の一つ。江戸時代には加賀藩前田家の庇護のもと越中寺院のまとめ役を勤めるなど、前田家との縁も深い。開祖·親鸞聖人直筆の「唯信抄」をはじめ、什宝物·法宝物·古文書など約1万点の寺宝を有し、夏の虫干法会では一部が一般公開される。365日欠かさず行われている法話と法要には地域の人々が集い、文化やコミュニティを培う場としての寺院の姿を今も伝えている。